2011.06.26 Sunday

あれから、何年かな…

と、思い出す6月25日。
って、もう今日は6月26日なんですけど。

何曜日、だったかは、忘れたけど、水曜日だったかなぁ、火曜日だったかなぁ…。

ごんちゃん(kiriko父)が、倒れた日なんです。
って、今はですね。
定年退職後、全く頭を使うことなく、一日中テレビにかじりついていらっしゃるので、最近、物忘れが激しく。
うむ、心配。
ではありますが。
体は、元気に、されてます。はい。
ご心配なく、で、お願いします。

前にもお話したかも、ですが。

ごんちゃん、くも膜下出血で、倒れたんです。
だから、えっと、何年前だっけ…
まだ、ブログは、始めてなくて。
チェロは、弾いていたから。
2003年かなぁ、2004年かなぁ…。
チェロは、練習曲集の2冊目が終わったところだったから(新しい曲集もらった♪って、その本の譜読みをごんちゃんの病室でしていた記憶があるので)、やっぱり2003年かな、ごんちゃんが53歳の時だったかな?

とにかく。
6月25日、だったことは、よく覚えています。

その日、ワタシメ。
滅多に行かないスポーツジムで、延々と走っていて。
21時ごろ、帰宅したら。
家に誰もいない。
車も、なくて、でも、置き書きもなく。

どこかに、出かけたんかな?
ってか、何も言わずに、両親そろって、出かけるなんて、珍しい…。
その頃、ははも、ごんちゃんも、携帯持っていなかったので。

誰に連絡することも出来ず。
とにかく、家で、じっと待ってました。
30分くらい経った頃、自宅の電話が鳴りました。
ははからでした。

「今、どこにいるか、わからない」

と、いきなり言われたワタシメ。
何の話やねん?と、聞くと。

「お父さんが倒れたんだけど、救急車で運ばれて、今、どこにいるか、わからない、豊中みたいだけど、どこなんだろう?」

と、完全にパニック状態。

朝から、元気に出勤してたごんちゃんだったので。
倒れて運ばれた、っていわれても、まったくピンとこなくて。
どうせ、飲みすぎて、ふらついたんでしょう?位にしか思えなかったワタシメ、いたって冷静でした。

「だから、どこにいるか、周りの人に聞いて」
と、ははに言うと、はは、目の前にいた病院の守衛さんに聞いたみたいで。
「豊中の、大阪脳神経外科病院にいる」
とのことで。

とりあえず、ワタシメも、行かなきゃあかんやろう、ってことで。

明日、お仕事お休みせなあかんかも、だなぁ、と。
当時の上司に電話して。

「ってことで、豊中の大阪脳神経外科病院にいるみたいでして、どこにあるんですかね?その病院」
と、聞いて。
「いや、それはすぐ行ってあげなきゃ、だめでしょう」
ってことで、その方がすぐ、家まで来てくださって。
その病院なら前に友人が入院していてお見舞いに行った事があるから、ってことで、連れて行ってくださって。

ワタシメが到着すると。
そこから、ちょっと記憶がないなぁ。
ははには、すぐ会えたかなぁ。
なんしか、ストレッチャーに乗せられて、手術室だったか、集中治療室だったかに向かう、ごんちゃんと一緒に、エレベーターに乗っていて。
「大丈夫?」
って、声をかけたら
ごんちゃんが、かすれそうな声で「なんや、あんたも、来てくれたん、大丈夫や」と言ってピースしたのを覚えてます。

そこから、薄暗い集中治療室の片隅で。

お医者さんから。
ごんちゃんが重篤な状態である、ということ。
手術をしても、助かる確率は半分しかない、ということ。
くも膜下出血って、どういう状況なのか、ということ。
脳に出来た、血液のこぶ、動脈瘤が、破裂して。
くも膜の下に流れ出ている状態であり、それを、とめなければならないこと。
このままでは、脳の機能が失われてしまい、半身不随になったり、場合によっては死にいたること。
今なら、破裂して数時間しか経っていないから、今ならまだ手術をすれば何とかなるかもしれないから、手術が必要であること。
かなり、難しい話だったと思うんですが、そんな話を、いくつか、整理して順序だてて聞かされて。
とにかく、一刻を争う状態だから、といわれ。
即、同意書にサインをして。

それから即、手術に入りました。

夜中12時に、手術が始まって。
終わったのが、朝の9時半でした。

4,5時間で終わる手術だと、聞かされていましたが。
状況が、悪かったみたいで。
結局9時間半、かかったんですが。
非常口を照らす明かりしかついてない、真っ暗な廊下で。
母と二人、じっと座って待っていたこと。
朝が来て、とにかく、父の勤め先に電話をしたこと。

そんなことくらいしか、覚えていないけれど。

なんか、別世界の出来事のように、思えて。
なんで、こんなことになってるんや?
って、そんな、感じでした。

テレビドラマの中の出来事が、自分に降りかかってるってことが、なんか他人事みたいに思えて。

それくらい、突然の出来事で。
それくらい、重大な出来事、でした。

結局、その後ごんちゃんは。
14日間、集中治療室にいて。
集中治療室にいる間は、面会も1日30分しかできなくて。
面会と言っても、本人に意識がないので、会話も出来ず。
回復を信じて、日常の生活を続けるしか出来なかった、ことを記憶してます。

その後。
7月の2週目の土曜日に。
やっと、一般病室に移って。
一般病室に移った後は。
徐々に会話も出来るようになり。
たしか、7月の終わりに、ようやく退院できた。
ん、だったかなぁ…。

そして、その後2ヶ月間くらい。
自宅で、療養してたと思います。
初めは、歩くことさえ、出来なかったので。

まず、家の中を歩くことから初めて。
近所のお散歩、それから、自転車に乗ること。
全部ができるまで、2ヶ月かかった記憶があります。

とにかく。
あの夏は、とても暑い夏だったように、思います。

それから、家中が、果物の香りに包まれてた夏、だったと思います。
(ごんちゃんあてに、ごんちゃんの会社の皆様や、取引先の皆様から、お見舞いにって、たくさん果物いただきましたので…)

それから半年後。
もう一回、15時間にわたる手術を受けることになったんですが、ごんちゃん。(1月の寒い時でしたね…)

ごんちゃん、運がよかったのか。
今はすっかり、元気でして。


…でも、この時期になると。
スーパーで桃が並んでるのを見ると。

ごんちゃんが、倒れた時のこと、思い出します。

脳ドック検診、受けてたら。
オオゴトになる前に、処置できてたのよね、って、あの時思ったこと。

ワタシメ自身。
自分に活かせたたかどうかは、よくわからないけれど。
うーん、でも、ワタシメの場合は。
いい加減、大腸がん検診、受けな、まずいやろう、と思って。
(汚い話ですけど、血便の自覚症状はなんせ3年前からありましたから…)
検診で、がんが見つかったわけですから。
そういう意味では、ごんちゃんが倒れた時に、検診って大事って思った教訓は、ちょっとは活かせてたんかなぁ…とも、思います。

とにもかくにも。

健康第一。

お腹いっぱいご飯が食べられて。
忙しくて目が回りそうになりながらも、毎日、お仕事が出来て。
ゆっくり眠れる夜がある。

これ以上大切なことって、本当は他にないんやろうな、って。

去年の今頃は。
ワタシメ自身も、抗癌剤を投与されていて。
元気に日々生活していましたが。
ご飯、おかゆさんとか、ぬるい果物しか食べられなくて。
お水も飲めなくて。
暑いのに熱いお茶しか飲めなくて。
(冷たいものが一切口に出来ないという副作用がありました)
今になって思うと。
それなりに、しんどかったんやろうなぁ…って、生活してまして。
(抗癌剤の投与が終わった後は、一日意識を失うように眠っていました。起きて動くことも出来るけれど、根性をちょっと入れないと動きにくかったなぁ、です。関節が痛かったり、体がかなり火照ってだるかったりってことがありました…)

なので、そんな自分のことを。
併せて思い出したら、なおのこと、とにかく。

健康第一。

って。
そう、思います。
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