を、見て、思い出した、お話。
『センセイの鞄』
です。
はい、本日、せんせいが、いつものかばんを持って、我が家にいらっしゃいました。
つまりのところの個人レッスン日です。
で、レッスンの話ではなくて。
かばんのおはなし。
しかもせんせいの話ではなくて。
『センセイの鞄』
のお話です。
ワタシメのチェロの先生「せんせい」も。
いつも、同じ鞄を持っていらっしゃってて。
この大きさ、この形でなきゃ、せんせい、嫌なんだろうなぁ、ってふと思うことがあります。
そうそう『センセイの鞄』という小説に登場する「センセイ」も。
いつも同じ鞄を持ち歩いている、って設定だったよなぁ…
って。
10年に一度の「本の虫期間」に、突入中のワタシメ。
久々に、なんとなく、この作品を読み直してみたくなって。
(10年ほど前に、この作品を、当時の職場の方が貸してくださって、読んだのでした。)
本屋さんで文庫本を買って、ついこの間、読み直したのでした。
それで。
『センセイの鞄』のはなし、ブログに書こう、って思ってたんですが。
なかなか機会もなくて。
今日、せんせいのいつものかばんを見て。
そうそう。
『センセイの鞄』を、ワタシメが、読み直した話、書かなきゃ。
ってことで。
……と、長い前置きはさておき。
(って、そもそもせんせいがレッスンに来てくださった日であるのに、レッスンの話を一切しない、超不届き者生徒のワタシメでゴザイマス。…だって、この2週間、1度もレッスンの曲弾いてないし、自宅でチェロ触ったのも30分くらいだったですし…今日はもうホントにレッスンにならない状態でしたから、ワタシメ。すみません…。)
『センセイの鞄』
という、文学作品。
ベストセラーになったので。
そうそう、谷崎潤一郎賞も受賞した作品ですし。
しかもドラマ化もされたので。
(小泉今日子さんと柄本明さんが主演されてましたね)
ご存知の方も多いですよね、です。
川上弘美さんが書かれた小説です。
ゆっくりと淡い四季の移ろいの中で。
「センセイ」と、主人公「ツキコさん」の日常を、淡々と描く小説です。
小説の9割5分、そんな日常をのお話、描いてます。
突発的な大きな事件も起きないし。
登場人物が特殊な人でもない。
普通の人の、普通の日常を描いた作品です。
それなのに、しかも、かなり前に読んだ作品なのに。
ワタシメの中に、しっかり、記憶に残っている作品でして…。
文学作品、純文学作品と言われる小説です。
それこそ、大学のゼミなんかで、取り上げられてもいいくらいの作品だし、卒論の研究作品として取り上げても、怒られないような。
そんな、文学作品。
(日本文学科卒のワタシメですが、そのへん、ようわかってないんですが、学問として文学作品を究する場合、イマドキの携帯小説などは、小説とは呼ばず、きっと「ワカモノ文化」として扱われ、文化の研究としては認められると思いますが、文学作品としては、扱われていない気がします。大学の日本文学を専攻する場合においては、作品の解析とか、作品自体を学問に出来るのはあくまでそういう「純文学」と呼ばれる作品、だけのような気がします、ってそんなこと書いたら、怒られるような気がしますが…というわけで、ワタシメのあくまでなんちゃってな私見ということで、ご理解ください。)
『センセイの鞄』という作品は。
おそらく、専門的観点からしても。
れっきとした、文学作品
なのに。
お難くて何書いてあるかわからん。
ってことは、一切なくて。
すんなり、読み進められるし。
読後、何故か、ものすごく印象に残る、という、そんな作品です。
読み直してみても。
やっぱり、同じ読後感、でしたね…。
そして、最後のページだけは。
ほんの少し涙が出てしまいます…。
表現の仕方が、美しい。
単なる恋愛小説ではなくて。
文学作品であるのは、多分、それがゆえんなんだろうな、って思います。
空気の色、温度、におい。
それらを全て、ともなって、読者にその世界を感じさせることができるのは、きっと、文学だからなんだろうなぁ…、って思います。
ただの作文では、そんなことはできないし。
ただのノンフィクションでも、現実が羅列されるだけだけれど。
読者をその世界にいざない、その世界観をそのまま感じさせることが出来るから、純文学作品、って言われるんだろうなぁ…
と、頭の隅っこで思ったことだけ、書いておきます。
あとは、読んでください、ってところかな…
私が「好きな作品、何?」って聞かれたら。
読書量は全くないに等しいワタシメでありますが。
今ならいの一番に
「川上弘美さんの『センセイの鞄』」
って、答えるだろうなぁ…
…最後のページだけは。
淡々としているけれど、何事もなかったように、終わっているんだけど。
もし、自分が、ツキコさんだったら?
を、考えたら。
切なすぎて、辛いんですが…。
頭の、ほんの隅っこで。
正直。
時間って、後どれだけ、残っているんだろう、と。
考えてしまいました…。
今は、あたりまえではなく。
今は、いつか、過去になるんです。
わかっているけれど、多分、私の頭は、それを実感していないんだな、って。
そう思います…。