2011.05.19 Thursday
また、落ちる。
昨日の晩から。また、ひたすら悩んでます。
また、不眠症復活です。
もう嫌です。
答えが、全くわかりません。
昨日、レッスンがありました。
何を言っても仕方ないし。
続けるって決めた以上、練習ちゃんとする、って。
それしか、答えはない、って。
そう思ったから。
だから、さんざんっぱら悩んだことや。
私の本心を、あえてもう言う必要もないし。
だまって単に弾いてたらそれでいいんだわ、って。
だから、何も、言うつもり、なかったです。
でも。
バッハ弾いてる時に、ぷつん、と、何かが、切れました。
そこから。
延々と、この半月間、どれだけ真剣に。
やめること考えたか。
できないことがいかに悔しかったか。
を、せんせいに、話しました。
話したら。
すっきりする、と思ったのに。
結局。
やっぱり、私、もうチェロやめてもいいわ、って気分が、また芽を出し始めました。
私がブラームスを弾けなかったのは。
せんせい曰く。
「ウエルナーを適当にしか弾いてないから」
なんだそうで。
「基礎ができてないのに、どれだけ練習したって、曲は中途半端にしか弾けません。」
なんだそうです。
だから。
ブラームスを弾く、って決めるときに。
「私にこの曲弾けるんですか?」
って、聞いたんです。
そしたら。
「ボエイルマンが弾けたら、この曲、弾けないことはない」
って、いったのも、せんせいです。
でも。
結局弾けなかった。
その理由は。
「これまで10年間、散々教則本を嫌がったせいです」
なんだそうです。
教則本をさぼり倒してるのは、10年間ずーっとなので。
教則本をさぼり倒してきた私に、ブラームスみたいな大曲はもちろん、何かの曲をちゃんと弾く、って事自体、不可能なんです。
「4月にめちゃくちゃ練習したって言うけど、基礎がない状態でいくら弾いても、結局ボロがでます」
ってことでした。
だからつまり。
教則本が大嫌いな私には。
結局。
大曲はおろか、小さな曲すら、練習しようが、練習しまいが。
結局なーんにも、弾けないんですよ。
なら。
なんで、私、チェロ弾いてるんやろう…って。
練習しても弾けない。
練習しなくても弾けない。
それなら、弾いてる意味なんてどこにもないやん…。
弾けるようになりたいから。
練習してきたのに。
あの努力って。
結局、全く何の意味もなかったんやん……。
って。
思ったら。
悔しいとか。
情けないとか通り越して。
もう、なんて言ったらいいのか、わからない気持ちになって、なんか、意味もなく涙がぼろぼろこぼれてきました。
どうせ、私には基礎がありません。
左手を自由に動かすことは出来ません。
だから、音程もちゃんと取れないし。
早いパッセージは大の苦手だし。
ビブラートだってどうやったらかかるか、いまだにわからないし。
指先を動かせばいいって言うけれど、指先なんてどれだけ弾いても、どうやったら動くかそのものがわからない。
右手だって、指を使って弓を動かさないから、手首も動かない、って言うけど。
でも、指をどう動かしたら、手首が動くか、どうやって弓を動かしたら、きれいな音色が出るようなるか、それも、色々考えて、どうすればいいんだろう、って、必死で考えながら、あれこれ練習したけど。
絶対に、わからない、です。
チェロを弾くこと。
それは私にとって。
わからないことだらけ。
です。
わからないことだらけ、で、何にも出来ない理由。
それは。
「基礎練習を放ったらかしにしたから」
って、ことでして。
そんな、私に。
「基礎がないのに、曲なんて適当にしか弾けません。」
なんだそうで…。
だから。
「練習曲は、何を弾いてくれてもいいんです。」
って。
そんな適当な…って言ったら。
「練習曲は適当な曲を適当に弾いてくれたらそれでいいんです。」
って、ばっさり、一言で…。
適当に、あいまいに弾くくらいなら。
じゃあ、はじめから。
曲なんて弾かなかったらいいわけだし。
やっても出来ないのに。
あいまいにアバウトに、ほぼ弾けてない状態でおしまいにするのに。
やることの意味がわからない…。
私は好きな曲を、きれいに弾きたいわけで。
あいまいに適当にめちゃくちゃに弾くことに、意味なんてない。
やるなら。
納得のいくように、きれいに、弾きたい。
少なくとも。
ブラームスは。
思うように、きれいに、ちゃんと弾きたかった。
でも。
そんなこと、初めからできっこない、って、わかりきっていたんです。
私は。
練習すればなんとかなる!!!
って、自分を信じて、必死で頑張ってきたけれど。
私、基礎が、ないから。
どんなに弾こうと、まったく弾かなかろうと。
結局、何にも弾けるようになんてならない。
そんなこと。
ブラームスを弾きます、って私が決めた時点で。
すでに、決まっていたんです。
発表会の当日が来ても。
全く弾けないってこと。
どんなに練習しても、むだってこと。
私は。
そんなこと、微塵も思っていなかったけれど。
せんせいの中では。
絶対むり、って決められていたし。
そして、案の定。
基礎力のない私には、絶対に無理、でした。
じゃあ、なんで。
曲を弾こう、ってことにするんですか。
って、すごく思うし。
初めから、できない、って決め付けられてて、実際にその通り、100時間弾いても1000時間弾いても、1時間しか弾かなくても。
私の弾けるレベルって、結局同じ。
「弾けない」
でしか、ないんです。
多分、仕事を1年休んで、毎日10時間同じ曲ばかり弾いても。
結局、今と同じように
「弾けない」
です。
だって、基礎がないんだから…
それなのに。
なんで、弾かなきゃいけなかったのか。
どうして、弾いていたのか。
できない、ってわかりきっているのに。
できる、って勝手に信じ込んで、努力して。
努力は完全に空回りで。
そんな半年間に、一体何の意味があったんだろう…
今、本当に、いいようのない虚しさが、広がっています。
私のあの半年間は、なんだったんだろう
…って。
私だって。
基礎力不足は常に痛感はしていたから。
5年前に、教則本が1冊、終わって、新しい教則本に入るときに。
もう一冊、教則本、一緒に始めたい。
って、教則本を2冊に増やして欲しい、ってお願いしたのに。
ぶっちゃけ、せんせいは、完全に無視。
だったし。
3年前にまた教則本が終わって、さらに新しい教則本に入ったときに。
教則本、足りないから。
普通のチェロ弾きさん達が普通に弾いてるような教則本も、やりたいです。
ドッツアウアーとか、シュローダーとか…。
って、ちゃんと言ったのに。
「社会人は忙しいから、教則本2冊も無理だから、弾かなくていいです」
って。
「教則本、増やしても教則本嫌いやから、どうせ練習しないでしょ」
って。
そう私に言い続けてきたのも、せんせい自身なのに。
なのに。
どうして、いまさら。
「基礎がないから、曲はいくら練習しても、弾けないです」
って、言うの…
確かに、私、教則本、大嫌いだし。
反面、ソナタとか、小品とか、ちゃんとした曲を弾くのは嫌いじゃない。
でも、基礎がしっかり出来てないと、曲を弾くのが無理、なら。
曲を弾く無駄な無理をするのではなくて。
(だって今の私が、もう一回ブラームスを後1000時間弾いたところで、結局、やっぱり無茶苦茶な演奏しか出来ないのは、目に見えてわかっているわけで。)
練習したってできないことに、時間を費やしてるほど、私そんなに時間に余裕ないです。
それなら。
ちゃんと、いろんな曲が弾けるように、ちゃんと曲も出来るように、なれるために。
基礎を固めるもの、つまり教則本を、もっとちゃんと弾いて。
そっちに時間を費やすほうが、よっぽど、効果的だと思うんですが…
だから、教則本増やしてって、言ってきたつもりだったのに。
「どうせ練習しないでしょ」
って言われるし。
教則本は。
確かに嫌いです、だから、練習しないことが多いです。
でも、練習しない理由のもうひとつは。
何をどうしてどう弾いたらいいのか、わからないから。
です。
教則本は、弾くたびにひたすら「だめ」って言われます。
でも。
何が出来てないから「だめ」って言われてるのか、わからないから。
わからないまま、練習し続けるから。
ずーっとだめだめだめだめ…って言われ続ける。
だから、出来ない。
って、ところがあります。
例えば、教則本を弾いてると。
「音程が悪い」
だから、駄目。
と、言われるけれど。
じゃあ、どうやったら音程が守れるか、そんなこと、わからないし。
なんで、自分の音程が悪いのかも、わからないし。
わからないから、悪いままになってしまうから。
悪いままの状態で、延々と練習するから。
だから、結局、何にも出来ないまま、に、なってしまうし。
いつまでたっても。
「駄目ですね」
しか、言われない。
だから、何が駄目なん?
「音程ですね」
だから、音程って、どうやったらちゃんと守れるの?
「練習ですね」
だから、練習してますやん。
「でも、出来てないですから、できるまで弾かないと。つまり、練習が足りてないから弾けてないんです」
だから、どうやったら、できるようになるんですか
「それは、自分で感覚をつかまなきゃ、それしかないです。感覚をつかめるまで100時間練習してできなかったら1000時間弾いたらいいんです。」
これが、私がずーっと言われ続けてきたことです。
だから、私は。
結局闇雲にただできない、できない、って出来ないところを、意地になって、何回も何百回も繰り返し繰り返し弾くことを、いつもしてきたつもり、です。
それでも、教則本は特に。
「だめですね」
としか、言われないから。
だから、もういいや…
ってなってしまうんです。
今回のブラームスも、同じ。
「弾けないって思うなら練習が足りませんね」
ってだけ、言われたから。
ブラームス、死ぬ気で弾きました。
何時間弾いても出来ないから。
1日に14時間弾いたり、1週間で50時間弾いたり。
無茶しました。
本当に練習しました。
でも、弾けませんでした。
それは、結局。
「基礎が足りないから、弾けないんです」
じゃあ。
基礎がない私が、ブラームスいくら弾いても、どんなに練習しても、結局はじめっから弾けっこないんだったら。
何のために、半年間も、ブラームス、必死で弾いてきたんだろう。
ブラームスを弾いた時間分だけ。
教則本の1巻の一番最初から、やり直して。
他の教則本も1冊ふやして、初めから弾いて。
つい最近終わった教則本もあわせて最初から弾いて。
って。
教則本ばっかり、弾き続けていた方が。
よっぽど意味があったんじゃないの?
って、思います。
「でも、教則本嫌がるから、教則本させられないし…」
って、せんせい、二言目にはそうおっしゃって。
結局、私のせい、ってことになるんだけど…
私、教則本、絶対弾かないとは言ってない。
って、心の中で思ったし。
そもそも、教則本を毎度毎度
「駄目ですね」
って、ひとことで。
何が駄目か、どういう弾き方すればいいのか。
答えがないままダメダメ言われ続けて。
出来るようになる、って思えって言うほうが無理やん。
って、思います。
どこが、駄目なのか。
それを正すには、何を気をつけて、どう練習したらいいのか。
それが、いつまでもわからないのに。
闇雲に練習しても。
いつまでも、間違えは直せないし。
駄目な自分のどこが駄目なのか、自分で気づいて、自分で修正できるなら、何も習う必要あらへんし。
わからないことを、教えてもらうために、せんせいについてるわけなんだけど。
だめ。
と。
練習が足りません。
しか、言われなかったら。
私だって、どうして良いか、わからないです。
「この言葉を言えば、みんなチェロがうまくなるって言葉があれば、僕が教えて欲しいです」
ってせんせいは、言うけど。
駄目って言葉をひたすら聞いて。
それで、結局出来ない私は。
どうしたらいいか、わからないですやん…。
なんでできないのか、その答えがわからないまま、ただひたすら練習しても、いつまでたっても、出来ないがずーっと続くだけだし。
正しいことが何か、わかってないから、練習していても、ただひたすら間違いだらけを繰り返して。
だから、正しいことが一切出来ない。
そんな間違えをひたすら練習しているだけでは当然「駄目」は脱出できないし、前にももちろん進めないし、正しいことが何かは永遠にわからない。
私が教則本を練習することって、つまりは、間違いをただひたすら間違ってるけどどうしたらいいかわからないって悩みながら。
結局間違いばっかりを延々と続けいるだけなんです。
なんでそんな間違いを弾きつづけなければならないのか。
私にはその理由がわかりません。
私だって、正しいことを知りたいし。
正しいことを、練習したい。
駄目って言われないようになりたい。
だから、必死で練習しているのに。
いつまでたっても駄目駄目のまま。
結局あきれられて、あきらめられてるだけ…
そんなのは、嫌なんです。
ちゃんと、正しいことを、弾きたいんです。
基礎がどうでもいいなんて、思ってないです。
曲が、きれいに弾けるようになりたい。
そのために、基礎がなきゃ無理なのは、私だって、初めからわかってるし。
だから、大嫌いなバッハだって、やっぱり最後まで弾かなきゃ、って、どうせ、私には4番以降を弾くのは無理なのも無茶なのもわかっているけど、それなりにちゃんと向き合ってるつもりだし。
教則本だって、間違いばっかり弾いてるの頭の真ん中でわかってるけれど、どうやったら音程が取れるんだろう、どうやったら左手が動くんだろう、って考えながら、少しずつでも弾いてるつもり。
延々と駄目、って言われ続けて、挫折することが多いけれど。
それでも、投げ出すことはしないて、弾いてる。
私だって。
この曲は好きだなぁ、と思える曲を。
自分の演奏も、好きだな、と思えるくらい、きれいに、奏でたいから。
だから。
中途半端で終わらせてきたかもしれないけれど、決して、向き合わずして逃げたことはない、と思います。
特に、今回のブラームスは。
いつもの私の口癖の。
「できない、無理、あきらめる」
って、3拍子そろった嫌言。
それは、絶対に言わなかった。
絶対にきれいに弾きたいから。
だから。
「無理です、出来ません」
って、言うかわりに。
きれいに弾きたい、だから、そのための努力は厭わないから。
「どうしたら弾けるのか、教えてください。」
って。
その言葉を、半年間、言い続けてきたつもり、で。
でも。
その台詞を言うたびに、せんせいは。
「もうそこまでできたら、ええやん」
「ええんちゃう、ひけてきたし」
「ま、なんとなく曲にはなったし、そんなもんちゃう」
「暗譜したし、あとは、ひたすら練習したら?」
って。
いつも、完全に他人事で。
何かを教えてくださる気配なし。
例によって。
音程と、左手。
注意があっても、それくらいで。
こんなんじゃ、あかんのです、って私が何度言っても。
「できてるから、ええんちゃう?」
しか、おっしゃられないんです。
「基礎が出来てないから、やっても弾けません」
なんて。
半年間、ひとっことも、おっしゃられなかった。
なのに。
なんで今更。
そんなこと、いうかなぁ…
やる、って決めたんだから。
「基礎が出来てないから、弾けてませんよ」
って、半年間の間に、何度も言って欲しかったです。
できてるから、いいんちゃう?
で、片付けられたくは、なかったです。
「ブラームス、私ちゃんとできてないです、もっとちゃんと弾きたい」
って、私、半年間ずっと言い続けてきたのに。
「ええんちゃう」
しか言わなかった、せんせい。
終わってから。
「基礎がないから弾けないんです」
って言うくらいなら。
「ブラームス、思うように弾けないからどうしたらいいですか?」
って、私が聞いたときに。
その都度、「基礎が出来てないから駄目です」ってちゃんと言って欲しかったし。
初めからやっても無理、ってせんせい思ってたわけで、実際に私が必死で練習しても常にやっぱりできていなかったわけなんだから。
ある程度のところで。
「やっぱり基礎力不足で、この曲弾けてないから、無理です」
って、はっきり、言って欲しかった。
それが出来ないなら。
私が弾きたい、ってわがまま言った時に。
はっきり。
「基礎が出来てないから、やっても弾けないから駄目」
って、言ってくれたらよかったのに、って、思います。
私が基礎が出来てないのは、前々からわかってることやん。
それなら、初めから
私が、絶対ブラームス弾きたいって言っても。
「絶対無理です、基礎ができてないから」
って、はっきり言ってくれたらよかったのに。
「ボエイルマン終わったから、弾いてくれていいよ」
って、そうおっしゃったのも、せんせい。
「弾いて良い」っておっしゃられたならば。
じゃあ、私が少しでもちゃんと弾けるように「基礎がないから、これではこの曲が弾けないから、この教則本のこんなところを一緒に練習してみ」とか、言って欲しかったです。
それが言えないなら、はっきりと
「やっぱり弾けそうにないから、あきらめ。」
って、もっと早くに言って欲しかったです。
なんで、弾けてもないのに「ええんちゃう?」ばかり言って。
他人事ですよ、ってな一言ばっかりで。
「どうでもええんちゃう?」
ってことなんでしょ、って私が思うときもあったほどで。
正直、むっとして。
それって完全に他人事ですやん、って私が言っても。
「まぁな」
って一言で終わり。
ええんちゃう、って言われ続けて。
何も指摘がないなら、練習すればできる、って、私、自分では自分を信じぬくしかない、って思い続けていて。
必死になって弾いてたのに。
それでも、本当は、やっぱり、私には、結局実は何にもできてなくて。
案の定、結果が散々で。
とてつもなく、落ち込むことになって。
いまだに、こうして延々とここに愚痴愚痴書いても、まだ気持ちが収まらないくらい。
悲しいし。
正直ものすごく腹が立つし。
やりきれないし。
自分で自分をとてつもなく嫌だと思うし。
何をどうしたらいいかわからないし。
本当に、言いようのない気持ちでいっぱいです。
自分で自分がコントロールできないくらい。
気持ちが全く、収まりません。
こんなことなら。
発表会の前に「弾けてないから無理です」ってはっきり言われて。
発表会に出なかったほうが。
ブラームスをあっさり、あきらめた方が。
よっぽど、すっきりしたと思います。
そういうことを、なんで、教えてくれないんだろう…
初めから。
できっこないこと、わかってて。
「できるから、やったら?」
って言うのかが、私もう、わからないし。
なんで、私ブラームスできてないから、って散々言ったのに。
「ええんちゃう?」
って言われて、それってすごい嘘やん、っていうことを言われ続けたのかも、わからない。
できっこないこと、結局できないこと、を。
それでも、絶対できるんだ、って信じて。
ものすごく努力してきた、この半年間。
それでも、結局、何にも出来なかった。
出来るって、信じて、頑張ってきた分。
できなかったことに対するショックがものすごく大きいんです。
それなら「出来てないですよね?私、ブラームスをブラームスっぽくなんて弾けてないですよね?」って聞いたときに。
「出来てないです」
ってはっきりおっしゃってくださったほうが、よっぽど、落ち込まなかったし。
恥をかくことだってなかったのに。
恥をかくってわかっていて。
できないってわかっていて。
「できるんちゃう?」って適当に言われ続けて。
私は。
自分がいかに出来ないかってことを、これ以上ない方法で痛感させられるために、この半年間を無駄な努力に費やしてきたのか、と思うくらいです。
本当に、この半年間は、一体なんだったんだろう?
できもしない、って初めからわかっていたブラームスに。
半年もの間、必死で向き合ってきたのは、一体何の意味があるんだろう?
弾けない自分を痛感するため?
人前で恥をかいて、己を知るため?
少なくとも、私は。
ブラームスに向き合うことで、自分のためになる何かが得られると信じて、弾いてきたつもりです。
でも、実際はそうではなかった。
基礎力不足を痛感させられ。
それをなんとかしようと必死で向き合ったけれど。
できなくて。
人前で恥をかいて。
言いようのない気分になって。
チェロをやめることを真剣に考え始めた。
得たことは、何もなく。
反対に。
私はチェロが人一倍ものすごく大好きだけど。
でも人一倍弾けない自分をこれまでになく痛感させられて。
前に進むどころか。
全部失うことを、思い始めている。
チェロをやめることを決意するために、私は半年間もブラームスに向き合わなきゃいけなかったんだろうか…。
あの半年間は一体何?
何のための絶対出来ない曲に向き合った時間だったんだろう?
「どんなに努力したって、基礎力もないのに、曲は弾けません」
そんなこと、なんで今更言うかなぁ、せんせい…。
基礎力がなくて。
曲が弾けないなら。
「基礎力をつけてから、曲を弾きましょう」
って言うのが、筋やんか…。
あんなに弾けなくて。
あんなに不細工なことを。
人前でさらして。
悔しくて情けない思いをするだけのために。
私、半年間。
馬鹿みたいに「自分は出来る!!」って自分で信じ込んで。
でも、教えてくれるせんせいは「絶対出来ない」って初めから思ってたわけで。
そんな状態で、ちゃんと教えてくれる訳もなく。
私、本当に、馬鹿みたい。
それに一体何の意味があるんだろう?
ブラームスを弾いたところで、基礎力は、つくわけもない。
もっとも、ブラームスで基礎力がついたなら、私はブラームスを弾ききっていたはず。
弾けなかったってことは。
私は、演奏において大事なことは、何一つこの曲から学んでいないってことなんです。
じゃあ、私は。
ブラームスを通して、何か得たものはあるんかな?
弾けない自分を痛感させられただけ。
でも。
チェロが弾けていない自分なんて、あえて人前で恥をさらしてまで、痛感させられなくても。
日々、弾けない、弾けないって。
練習するたびに、痛感してるし。
今更、そんな天罰みたいなひどいことされなくても。
弾けないことは、自分が一番よく知っているつもりです。
「どうやったらできるんやろう?」
って、自分なりに、必死で考えてるんですよ、これでも。
そんなこと、わかってもらえないかもしれないけれど…
私だって。
弾きたいんです。
歌を歌うみたいに。
きれいなチェロの音色で。
大好きな音楽を、奏でたいんです。
だから。
私が、努力をすれば。
私にもチェロを弾くことができるのなら。
そのために、しなきゃいけないことから。
逃げるつもりはありません。
だけど。
わからないんです。
どうしたら、チェロが弾けるのか。
どう練習したらいいのか。
それが、わからずして。
ただ、同じことを何回も何十回も何日も何ヶ月も、ぐるぐるぐるぐる同じことをしていて。
進歩なんか出来るわけない。
永遠に。
私、このまま、何にも弾けない。
このままじゃ、私、チェロ弾けるようになんて絶対にならない。
私だって、チェロが弾けるように、なりたいんです。
ただ、それだけなんです。
だから、練習だってしてるのに。
練習しても、毎度毎度「弾けないです」「駄目です」って断言されるなら。
練習する意味がわからないし。
弾けないことを、弾ける日が来る事なんてないのに、永遠に同じこと同じ曲ばかり弾き続けるなんて、嫌なんです、それでは意味がないです。
チェロを弾きつづけるなら。
ちゃんと、自分の目指してるところに、少しでも近づけるようになりたい。
今の私は。
教則本を弾いたら「駄目」と延々と言われ続けて。
たった1行の指の練習さえ、永遠に全く終わらせてもらえない。
それから。
何かの曲を弾きたいと思っても。
「基礎力もないのに、どんな曲を弾いたところで弾けるわけありません」
「だから、好きな曲を適当に、うやむやに弾いて終わらせたらいいんです」
って断言されてしまうようなところにいます。
結局。
教則本も弾けない。(何が出来てないのかがわからないからいくら練習しても結局弾けない)
曲だって弾けない(教則本をまともに弾けないから、曲想をつけて曲を弾くなんて到底無理)
そんなところに。
永遠に居続けるのなら。
これ以上弾く意味はないです。
弾くなら。
「チェロが弾ける」ようになりたいです。
大きなひょうたんを、棒っきれでこすってるだけなんて、まっぴらです。
でも、今の私は。
多分、そんなレベルです。
単に、チェロってものをこすって騒音を発生させているだけ。
弾いてなんかいないんです。
弾けてなんかいないんです。
そんな私なんて、自分で自分が許せないし、もう嫌です。
半年間必死で弾いても。
半年間全く弾かなくても。
練習していても練習しなくても。
結局おんなじように。
「弾けてない」
って結果にしかならないなら。
弾く意味は絶対にない。
半年間必死で弾いたから。
ちゃんとできるようになりました。
そうなりたいんです。
そのためには。
基礎力をつける教則本を弾いたら良いのなら。
どうでもいい曲を適当に弾く時間を。
教則本を増やして、教則本を弾けば良い。
曲なんて弾かなかったら良い。
どうせ、やってもろくに弾けない曲を弾く時間が無駄です。
そんな無駄な時間を費やしてるほど、私も暇じゃないです。
それなら。
ちゃんと基礎力をつけられるような練習を私だってしたいんです。
私がブラームスと必死で向き合った半年間を、全否定されてしまうみたいな、意味のない時間の過ごし方は、二度とごめんです。
教則本やり直して。
基礎力がちゃんとついてきたから、じゃあ、曲もきれいに弾けるようになる、っていうなら、それは意味があると思うけど…。
でも、教則本は。
むやみやたらに「だめ」
をひたすら言われ続けて、「だめ」がなんなのかがわからず。
闇雲に弾いて間違えを正せなくて
「練習不足」っていわれて。
闇雲にまた必死で時間使って弾くけど。
それでも「だめ」って言われ続けるから。
できない、ってなるんだよなぁ…。
ってなると。
「だめ」な私でしかないんだから。
やっぱり、弾いてても、意味ないんかな…って思うんです。
「それって逃げやん」
ってせんせいは言うけど。
だめな自分って、どこが駄目なの?って聞いても。
「そうやって『駄目っていわれるから弾かない』って言うところ」
って言われるし…
駄目って言われても
何が駄目か、わからずして弾いても。
永遠に駄目から抜け出せないやん。
駄目から抜け出す方法は「練習しかない」ってなるし。
だから、必死で弾いても。
「基礎力のない人には練習したって弾けません」
に、なるし。
基礎力をつける教則本は、何を弾いてもどう弾いても「駄目」って言われるし。
駄目って言われる分練習するけど。
どれだけ練習しても「音程が悪いから駄目」「左手が押さえられないから駄目」って。
だから、どうやったらそれが直るの?
「練習です」
…堂々巡りです。
練習してるのに。
駄目な自分。
練習してもしても、駄目な自分。
永遠に結局、私はチェロ弾きになんかなれないんです。
何が駄目なのかわからないまま「駄目」って言われ続ける落ちこぼれでしかないんです。
それなのに。
どうして弾きつづけるんだろう…
出来ないから、できるようになりたい。
そう思って、必死で練習してるのに。
それでも出来ないなら、私はどうしたらいいんでしょう?
病気する前くらいから。
とにかく、自分の使える時間という時間は、なるべく練習していて。
これ以上練習しろって言われても、もうこれ以上時間かけるのは無理って位、弾いてるのに…。
それでも出来ない私って。
つまり、チェロ弾けるようになんて絶対になれない、ってことだよなぁ…。
やっぱり、もう、限界なんかな、って。
正直、思います…。
ってことは。
やっぱり、やめるしかないんかな…。
でも、やめたら。
私、一体どうなるんだろう?
それだけ毎日必死で弾いているのに。
そこから、いきなり、練習しなくなって。
チェロを練習する時間が全くなくなったら。
私、その時間、一体どうやって過ごすんだろう…。
チェロを練習しない生活は、結局現実のものとして想像することは困難である、というのも、結局、私にとっての本心なんだけど…。
でも、私、基礎がないし、基礎をつけることも出来ないから。
結局何を弾いても弾けないんだよなぁ…
それなのに、何をやっても、結局弾けないのに、どうして続けるんだろう?
とも、思うし…。
どうしたら、いいんだろう。
出来ないのに、わからないのに。
どうやったら、続けられるんだろう………。
どうやったら、「駄目」と言われなくなるんだろう?
あれだけ練習しても。
いつまでも「駄目」ばかり言われるのは。
なんでなんだろうなぁ…。
ってことは、やっぱりチェロ弾きとして「駄目」ってことなんかな…
もう、本当に、本当に。
悔しくて、情けないです。
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