2011.03.19 Saturday

それでも、言葉にしなければ

私も。
yukirinも。

そして。
私達の友人、知人も。

16年前の、震災の時。
まさに、その真ん中にいました。

私達の住む、この阪神間は。
大震災によって、たくさんのものを失いました。

見慣れた風景は。
突然、別世界に変わり

新聞に並ぶ文字は。
想像を絶する現実を示し続けて。

街は。
埃であふれ。

どこまで、この毎日は続くんだろうと。

未来が、瓦礫の山の向こうに。
遠くかすんで見えなくなっていく…
そんな気さえ、しました。

悲しみ。
どこにもぶつけられない怒り。
言い表せない喪失感。

その一瞬の揺れは。
計り知れないものを、この街に残しました。


その、16年前の冬の、この街を。
この街に住む者として、知っているからこそ。


3月11日の、出来事を。

言葉で、言い表すことが、できない。

そう思ってしまいました。

何を言えばいいのか。
何を伝えられるのか。

答えはどこにも、ありません。

ここで、こうして、ブログに日記を書ける環境にある、自分が。
やるせない気がします。

頑張れって言葉を、ただ、ここに書くのではなくて。
そんな暇があれば。
ここにある毛布の1枚でも、自分の手で持っていきたい。
その方が、よっぽど。
誰かの助けになるんじゃないか、って、思います。

でも、それは。
実際には出来ません。
知識もなく、資格もない、そんな私では。
結局のところ、何の力にもなれないのです。
そんな人間が、被災地に足を運んでも。
救助活動、復旧作業の妨げにしかならないんです。

そんな、無力な自分が
情けないです。

テレビの映像と、新聞の活字。
そこから、現実を頭で把握することしか、出来なくて。
そこに、実際に自分がいてないから。
空気も、においも、わからないから。
きちんと、現状が把握出来ていないことも、痛感しています。

そんなことを、考えていたら。
ブログに、日記を書くなんて、できない。

そう、思って、1週間が経ちました。

でも、何も書かないのも。
それも、絶対、違う、って、思って。

自分の思いを、ここに書かないと言うことは。
今、現実に起こっていることを、直視しないで。
私はそんなこと知りません、って。
見知らぬ顔をして。
ただ、逃げている。

そんな、気がしたんです。

震災を知っている、この街に住み続けている人間だからこそ。
東北の大震災のこと。
いま、ここで。
言葉にならなくても、何を思っているのか、やっぱり書かなあかん。

そう、思って。

うまくは言えないけれど、何か、書かなきゃ、って。
パソコンに向かっています。


何を言っても。
何にもわからない私が、何を書いても。
何にもならない、そう思います。


どんな言葉も、何のお役にも立てない、そう思います。

今の自分に出来ることは。
募金箱にわずかながらの義援金を入れる。
そんなことくらいしか出来ません。

誰に祈ったらいいのか、それすらわからないけれど。

悲しみが、癒えますように。
町々が、明かりを取り戻しますように。
みんなに、笑顔が戻りますように。

誰にどう祈っているのか、わからないけれど。
それでも、そう、祈り続けることしか、できません。



最後に。
このことを書くかどうか、少し迷いましたが。
やっぱり、このことを、書きとめて、今日の日記、終わりにしようと思います。


私とyukirinは。
震災を経験したからこそ、出会えた二人、です。

震災をきっかけに、防災意識が高まって。
この街に緊急時に役立てるために、コミュニティFMができました。
そのFMで、市民ボランティアスタッフを募集する、というところに。
手をあげて、参加します、って集まったうちの一人が。
yukirinであり。
deco師匠であり。
私でした。

適切な言い方では、ないかも知れませんが。
あの震災がなければ。
私の街にコミュニティFMは設立しなかったかもしれませんし。
FMがなかったら。
私達は、出会っていなかったと思います。


失うものが、あまりにも大きすぎるのが、震災です。

でも。
立ち上がっていく途中で、より、多くの出会いが、きっとある。
yukirinとdeco師匠と私。
この3人の出会いが確かにそこにあったからこそ。
そう思います。

失ったものは、戻ってこないのは、確かにそうですが。
失ったもの以上のものは、二度とない、確かに、そうかもしれませんが。

私は、自分の経験したことしか言えませんが。

自分が震災を通じて16年経てきて。
震災で失ったものではなくて。
得たものはあったか?と、もし誰かに聞かれたら。

「多くの出会いが、そこにあった」

って。
そうはっきり答える、と、思います。


たくさんの人と人がつながって。
より多くの出会いが、生まれて。

街が、元気を取り戻していけますように…。

ただただ、遠くから。
祈ることしか出来ない、そんな自分が、本当に、無力で。
なんでなん、と、思いますが…。

それでも。
それでも。

なんでなん、って思いながらも。
毎日、自問自答しながら。

前を向くしかないんやな、って、思ってます。

人に、頑張れって言う前に。
私が、自分の毎日を、まず、力いっぱい頑張らんとあかん、と思います。
それは、何の意味も持たないことかもしれない。
誰の役にも立たない、と、とても思います。
でも。
何をしたらいいか、わからないなら。
まず、自分をちゃんとしなあかん。

自己満足かもしれませんが、そう、思います。


うまく言葉に出来なくて。
うまく文章にできなくて。

本当に、ごめんなさい。

2011.03.06 Sunday

そんな、恋のおはなし

とてもとても
心の底から

恋しくて、いとおしい。

そんな人に

出逢いました

想えば想うほど
想いは、つのるばかりです


でも
そんなあなたは

運命のいたずら

出逢ったその時、すでに

他のひとの、配偶者、でした


そんなあなたを
恋慕うことは
決して許されないこと

わかっているから

せめて

あなたが愛した音色に
私の想いをのせて

切なく、この上ない美しい旋律にして

この想いをとどめておきましょう………



……………
そんな、恋のおはなし。

ワタシメの今の気持ち、
で。
は。
なくて。

ワタシメが、今、弾いている
「ブラームス」の、おはなし。
…でした。


なにですか?
びっくりしたやん!!ですか?
ははは〜。
すみませんm(__)m。


「アナリーゼ」(音楽の専門的な解釈)なんてことは、ワタシメにはできないけど。
なんちゃって、ワタシメ的、勝手な曲の解釈。

久しぶりの雨降りの夜に。「雨の歌」
そんな副題の付けられた、曲のこと。
言葉にしてみようかな、と…。

ブラームスは。
恩人、シューマンの奥さん、クララに、恋をしました。
クララは。
ブラームスの書いた「雨の歌」という歌曲を、こよなく愛したと、言われています。

はい。
今私が弾いている「ヴァイオリンソナタ第1番(の、チェロ編曲版)」は。
ブラームス自身が書いた歌曲「雨の歌」の主題を用いて書かれた曲、なんです。(…ま、正確に言いますと、3楽章の主題が歌曲「雨の歌」の主題なので、ワタシメが弾いている1楽章に雨の歌の主題は出て来ないんですけど、ま、そこはワタシメ、本当に趣味でなんちゃってでチェロ弾いているだけなので、専門的なことは置いておいてください、ってことでお許しください。)
はい。
ブラームスが恋したクララが、愛した歌曲。
その歌曲が、原曲になって作られた曲こそ、ワタシメが今弾いている、雨の歌、というソナタなんです。

クララは、ブラームスが書いた、歌曲「雨の歌」を。
好んでよく聞いていたと、いわれています。
ブラームスは、自分が想いを寄せる、クララが、好きだと言ってくれた自分の作った歌曲、雨の歌、を。
自分にとって、いとおしいと想う、そのひとが、好きだと言ってくれた自分の曲、だからこそ。

ヴァイオリンとピアノを使って。
更に、美しい旋律を持った曲にしたい、と、思って。
ブラームスは、雨の歌という歌曲を。
あえて、ヴァイオリンソナタに書き替えたのかな、って。
そして。
クララが愛した、雨の歌という歌曲の、切ない旋律は。
美しい旋律の1楽章、憂いのある旋律の2楽章をともなって。
「ヴァイオリンソナタ第1番」に、なった。
のかな、って…。

雨の歌の歌曲と、ヴァイオリンソナタの作曲時期や、クララとブラームスのその時の年齢や立場がどうリンクするのか、なんて、私全くちゃんとわかってないですし。
そもそも、ブラームスがどれだけクララを思っていたのか。
クララが、本当にブラームスの歌曲「雨の歌」をこよなく愛したのか。
ブラームスがクララが愛した曲だからという理由で、歌曲だった「雨の歌」を、ヴァイオリンソナタに書きなおしたのか。
ホントのことは、全くわからないので。
あくまで、私の勝手な想像だけで、勝手に書いているだけ、なんですが。
しかも。
私には、ブラームスやクララの本当の想いや、考えは、当然、全くわからない、わけなんですが。
そして。
私には、100年以上前の、偉大な作曲家と天才と呼ばれたピアニストの恋の真相なんて、わからないけれど。
でも。
この曲には。
確かに、私が弾いている1楽章も。
雨を想像させるような、雫が地面に落ちてゆくような、そんな音色が随所に出てきますが。

雨の情景だけを想像するより。

春先の、少し冷たい雨の夜に。
かなわぬ想いを、両手に包むみたいに。
静かに、やさしく。
そっと、感じて
ひそやかに、それでも、いとおしいあなたのことを。
決してそばにはいられないあなたのことを。
想って、おもって。
遠く、そして。
一番近くに。
あなたが、いることを、知る。
それが。
どこまでも、限りなく切ない。

こんなに、美しく切ないメロディには。

そんな、やさしくも切ない、想いがあるんじゃないかな、と。

そう、思って。
自分の想いを音に紡いで。
このメロディを、奏でたい、と。

春先の雨降りの夜。
雨の歌に、かなわぬ切ない恋を、想うのです………

2011.03.04 Friday

とうきょーだよ、おっかさん。

…ってなわけで。

東京へ行ってきました。
目的はこちら!!

…劇場前の誰でも見られるところのポスターなので、画像アップしても良いんかな?と、思って、画像アップしましたが。
はは(kiriko母)の王子さま、某超大物アイドルさんの舞台を観に来ました。
チケット取るのん、言うまでもなく、とんでもなくめっちゃ大変だったんですが。
(ファンクラブの皆様でも、チケット取れないらしいです…。)
電話、かけまくって。
奇跡的に、チケット取れたので。
(ただし、かなり後ろの席でしたが…)
「観にいけるなら行きたい!!」
という、ははを連れて、東京までやってきた、と言うわけです。

お芝居の感想。
「さすが、王子さまや、空飛んでる…」
ってのと。
はは世代の皆様からも、とても好感をもたれているアイドルさんなので、やっぱり、とても礼儀正しく、お芝居も、ショーも、ホント、いろんなものを華麗に「魅せる」って感じで、さすがやなぁ…って。
ほんと、感心してしまいました。
当のはは本人は、めっちゃ感激して、夜も眠れないほど、感動して帰ってきたみたいです。
めっちゃきれいやった、すごくよかった…。
と、ずっと言っております。

で。
王子さまのお芝居が晩だったため、東京に一泊しました。
せっかくなので、翌日に、なんちゃって「ときょー見物」してきました。
ときょー、といえば、ワタシメにとっては、ココ!!

ってことで。
音楽の殿堂、サントリーホールです。
…って、わざわざ行って見ましたってのではなくて。
実は、泊まったホテルのお隣が、偶然にも、サントリーホールだったので(笑)、せっかくなので、朝のお散歩がてら、記念撮影です。
(この中に入ることなんてワタシメ一生ないやろなぁ…)

つづいては、こちら!!

今、ときょー、といえば、ココでしょう、ってことで。
ときょーたわー、に、来ました。
やっぱり、ココを見物しとかな、ね!ってことでして。
ははが、タワー見たことないと言うので、ってこともありまして。
あえて、まず、ときょーたわー、に行きました。
そしたら、偶然、出会えたのが「ノッポン」さん!
ときょーたわーの、マスコットキャラクターさんです。
記念撮影に、人物ではなくパンダを向けたワタシメにも、ばっちし決めポーズをしてくださいました!
ノッポン、めっちゃいい子や〜、って、嬉しかったので、タワーの写真ではなく、ノッポンの写真をアップしました♪

そして、続いてはもちろんこちら!!

ってことで。
ときょーたわー、を見たら、やっぱり、今超話題のこれ、見ないとね、ってことで、ときょーすかいつりー、を、見に行きました。
ってか、浅草に雷門を見に行って、そこから、すかいつりーがよく見えました、ってことなんですが。
この写真は、♪春のうららの〜隅田川〜♪の♪登り降りの船人が〜♪状態で撮ったものです(隅田川の水上バスの中から撮ったと普通に言わないワタシメをお許しください、笑)
なかなか、ちゃんと見えてるでしょ?
もう一足先の駅まで行けば、もっと間近に撮れたみたいなんですが。
歩き回って疲れたので、水上バスから眺めてみることにしました。

べったべったの関西人のワタシメが。
完全おのぼりさんでときょーに行きましたので。
もっと観光できたらよかったんですが。
そこは一泊二日の、しかも大目玉目的が「観劇」だったので。
観光はあくまでおまけ、だったんで…。

今度は、ときょーに、おいしい物食べに行っても面白いかなぁ…と、ふと思ってみたワタシメだったのでした。

築地でお寿司食べたい、って思ったけど、時間なくて却下してしまったし、月島でもんじゃも食べたかったのに、それも却下になったし…。
銀座で美味しい洋食とか、六本木でうわさのお菓子とか、もっと色々、美味しそうなところがあるはずなんですが、今回はその辺りには行かなかったので。
また機会があったらときょーを食べ歩いてみたいかも、なワタシメです♪
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